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こころのしずく

こころのしずく

第二十二幕~第二十九幕




本作品は、「るろうに剣心小説(連載1)設定」をご覧になってからお読みいただくことをおすすめいたします。面倒とは思いますが、多少オリジナル要素が入りますので、目を通していただきますと話が分かりやすくなります。

『きみの未来』目次

『きみの未来』


第二十二幕「不殺の約束」

 その夜、妙高をはじめとする、反新政府軍――というにはあまりにも頼りなげな十余名の男たちは、とある河原に集合した。皆と少し離れた妙高の隣にいる小さな子供は、弥彦である。
「弥彦殿。緋村殿は、お主を探しに来るであろうか」
「探しに来るだけでなく、阻止しに来ます」
 低く、けれどきっぱりと答える弥彦。月明かりの中、弥彦の目は光る。妙高は、目を閉じる。
「弥彦殿が話さずとも、緋村殿は気付いているのであろうな」
「お察しの通りでございます」
 妙高は目を開ける。一筋の汗を流す。
「緋村殿は……」
「強いです。日本で一番」
 妙高が確認するのをためらいかけた質問を察し、弥彦は答える。妙高はしばらく難しい顔をしていたが、やがて月を見上げる。
「例え死んでも」
 妙高は低く重い声でうなる。
「誇りを守り抜く」
 妙高は言い終えると、弥彦に真っ直ぐな目を向ける。
「武士の魂、弥彦殿は今も持ち続けているのだな……」
「俺は、父上と母上の子供です」
 相変わらず淡々と、けれどその言葉の中に熱い誇りを感じる。真っ直ぐな目を、弥彦は妙高に返す。妙高は少し切なそうな表情で、けれど満足げにうなずいた。
 その時、ざくっと小さな足音が響いた。弥彦はハッと顔を上げる。丸い月の下、真っ正面からこちらへ歩いてくるのは、間違いなく剣心――
 近づくにつれ、他の者たちも気付いたのだろう。皆、弥彦をかばうようにバッと前へ出る。話は聞かされていた。日本一強い剣客を相手に、戦わなければならないということを。けれど、この夜来なかった者は一人もいなかった。彼らに共通するもの――それは武士の魂。
「……すべてお察しなのですな」
 妙高は、いささか緊張した声で剣心にたずねる。
「そうですね……」
 剣心は答える。鋭くもなく、けれど優しくもなく。
 妙高は、苦渋に満ちた顔で後ろの仲間に振り向く。男たちはそれぞれ意を決し、腰の刀に手を沿える。そして一人が剣心に突進しようとしたとき――
「俺が……」
 男は声にビクッとして足を止める。声の主、弥彦に振り向く。
「俺が行きます」
 うつむいて。低く、静かに、弥彦はつぶやく。皆はそれぞれ目で相談する。強くても、弥彦はまだ子供であるからだ。
「誰も、剣心にはかなわないから……」
 そうして弥彦は、顔を上げ、ゆっくり前へ出る。誰もかなわないから行くのだと、弥彦は言う。それがどんな意味を表しているのか、例えば自分が犠牲になろうというのか、それともなんとか勝とうというのか、皆は分からなかった。
 剣心の前に、静かに立つ弥彦。かすかに揺れる目を、それでも剣心に真っ直ぐ向ける弥彦。その背中には、いつものように竹刀が結びつけられている。逆刃刀を持ってきていないことに、剣心は気付く。黙って竹刀を抜く弥彦。それを剣心に向けて構える。逆刃刀を抜く剣心。
 茶番だと弥彦は思った。何故なら、剣心はすべて理解している。敵討ちと人を守る剣との間で揺れる気持ちも。父上母上の誇りと不殺の誓い、二つの間にはさまれ身動きできないことも。だから剣心と剣を交え、仇討ちを敵わずに終わらせ、神谷道場へ帰るのだということも。心の奥でそう願う気持ちを、剣心は汲み取り、その通りにしてくれる。優しい、剣心。
 そこまで知っていてその通りに剣を振るう自分は、惨めだった。けれどそれしか出来なかったから。弥彦はせいいっぱいの力で、剣を振るう。
 一撃だった。弥彦の息が詰まる。腹に強烈な一振りを食らい、弥彦は膝からガクンと崩れた。思っていたより、ずっと重い一撃だった。加減したには違いない。それでも激痛を味合わされたのは、きっと剣心……いや、師匠からの罰なのだろうと。言葉で言われなくても分かる。剣心の剣だから分かる。伝わってくる。だから弥彦は、痛みを受け入れる。
 剣心は、うずくまる弥彦をちらりと見た後、妙高に近づく。
「弥彦がこの中で一番強いことは、昼間の稽古で確認済みでござろう。出来れば、これ以上けが人を増やしたくないのでござるが……」
「……我々は武士だ。もとより、死を覚悟している。誇りのためなら……」
「けれど、敵討ちの前にこんなところで倒れたら、元も子もないでしょう」
 沈黙が流れた。妙高も、他の男たちも、拳をにぎる。
「妙高殿。弥彦を返してはくれないでしょうか」
 弥彦は、ハッと顔を上げ剣心を見上げる。
「弥彦の気持ちは、拙者にも分かります。拙者はこの子の師匠ですし、それ以前に家族ですから」
 剣心は、弥彦に目を向け、また妙高に視線を戻す。
「あんなに小さくても、弥彦はいつも、一生懸命いろいろ考えています。誇り、信念、未来……たくさんの事を抱えて……。けれど……」
 弥彦は、月明かりの逆光で暗い剣心の背中を、目を凝らして見つめる。
「それでもやはり……弥彦はまだ年数生きていなくて、経験も浅い……。まだまだ未熟でござる……」
 ズキンと、思い出したように腹の痛みが、重く弥彦にのしかかる。
「あなた方と違い、弥彦はまだ、自分が本当に正しいと思うことを見定めることが出来ないんです。もちろん、あなた方が間違っているとはいいませんが……それでも拙者は不殺の信念を持ってここへ赴いたのであり、そして……」
 剣心は、弥彦の方へ歩いていく。
「それを弥彦に受け継いでもらう……」
 剣心は、弥彦の前にしゃがむ。そうして、弥彦の顔をのぞきこむ。
「その約束を忘れていないから、果たそうとしてくれているから、だからそんなに辛そうな顔をしているのでござろうな……」
 辛そう、と言われ、弥彦は気付く。辛くて、たまらない。思っていたより、ずっと、ずっと。父上と母上の誇りも守れず、剣心に向かって剣を振るい……。惨めで、小さくて、未熟な自分。突然突き上がるように目が熱くなる。この感情は悔しさ――? いや、違う。父上がいない。母上がいない。剣心はまたどこかへ行ってしまうかもしれない。薫も、左之助も……。何故……。分からない。何故、こんな、気持ちに……。
 弥月刀を置いてきてしまったことを、後悔する。剣心が教えてくれる飛天の剣で、剣心と戦いたくはなかった。剣の使い道は、約束をしたから。だから置いてきた。けれど、持ってくるだけ、持ってくればよかった。弥月刀は、あたたかいから。
「弥彦」
 ビクッとして、いつのまにか伏せていた目を、ハッと剣心に向ける。
「今から言うことを、覚えておいてほしいでござる」
 剣心は、弥彦の肩にそっと手を沿える。
「拙者は……いや、拙者や薫殿や、それに左之は……何があっても弥彦が大切でござる」
 弥彦の胸が、とくんと鳴る。
「だから、大丈夫でござるよ」
 大丈夫。不安にならなくても、いい。父上を追いかけて、迷って、誰にも許されずに独りぼっちになりそうだった自分を、剣心は迎えにきてくれた。失敗して、正しい答えもまだ分からないのに、それでも剣心はあたたかい手で引き寄せてくれる。神谷道場へ戻ってもいいのだと、そう言ってくれている。剣心の、とけこむような優しい笑顔が、弥彦の心を解いてゆく。締め付けられていた胸がゆるんで、弥彦はホッと息を吐く。とても、安心したのだろう。体の力が抜ける。見かねた剣心が、弥彦の腕をとり、立つのを手伝ってやる。
「弥彦殿」
 妙高は、剣心の腕をつかむ弥彦に声をかける。
「帰るのか? 弥彦殿は、緋村殿との信念を選ぶのか? 武士の誇り……よりもか?」
「誇りは捨てません。ただ……」
 弥彦は妙高に微笑する。
「俺は、剣心が言ったとおり、まだまだ未熟ですから……。時間はかかると思いますが、これからじっくり考えてみます。何が、正しいのか……」
 弥彦は一つ息をつき、ふっと月を仰ぐ。再び妙高に視線を戻す。
「妙高殿、俺、父上には会ったことがありません。けれど、父上はきっと一番正しいと思うことを貫いた……。だから俺も、そうしようと思うんです。父上が何て言ってくれるのか、やっぱり俺には分からないですけれど……」
「……そうか。分かった。よく分かった弥彦殿……」
 そうして妙高は、剣心の前に立つ。
「時は、流れていくものなのですね……」
 妙高は、弥彦に視線を落とす。まだ、小さな子供の中に、あるのは未来。
「武士の魂や誇りも、新しい形で受け継がれてゆくのかもしれない。あなたと弥彦殿を見て、そう感じました。皆でもう一度、よく考えて見ようと思います」
 仲間たちは、神妙にうなずきあった。

「また、是非屋敷に遊びに来てほしい」
「はい。喜んで」
 妙高と短い挨拶をかわし、他の仲間に一礼し、弥彦は剣心とともに帰っていった。

 月の光が降り注ぐ河原。少し前を歩く剣心の背中に、弥彦はつぶやいた。
「今日は……面倒をかけて、ごめん……」
「ああ……」
 否定はされなかった。けれど剣心は、腕を差し出してくれた。
「まだ腹が痛むでござろう? つかまって歩いたら楽でござるよ」
「……ああ」
 弥彦もまた、否定せず、素直に袖をつかんだ。そうして楽になったのは、腹の痛みよりずっと、心の不安だった。甘えていると自覚するほど、弥彦の頭はまわらなかった。信念だの誇りだのと立派なことを口にして、考えても、まだまだ十の子供。気を張りつめすぎて、疲れ果ててしまったのである。そのせいか、普段自制している言葉がぽろりと出る。
「剣心はもう、どこにも行かねぇよな」
 剣心は、ハッと弥彦を見つめる。先程、安心させたばかりなのに。そんなことを考えていたのかと、思い――弥彦は結局まだ独りぼっちなのかもしれないと、思い――弥彦の頭にポンと手をのせる。
「ああ。どこにも行かないでござるよ」
 剣心を見つめ、こくんと、うなずく弥彦。その仕草が、やけに幼く見えた。



☆あとがき☆
 今回は前編後編の二話構成です。第二十一幕「武士の誇り」・第二十二幕「不殺の約束」はタイトルが対になっています。作中で、この二つが弥彦の中で相反するものとなってしまったからです。この二つを一緒に取り込んでしまえるほど、弥彦はまだ大人ではありません。どうかこれからの成長を見守ってあげてください。


第二十三幕「弥彦と栄次」

 弥彦と由太郎と栄次。三人は友達で。例えば弥彦と由太郎が、親友であり好敵手なら。由太郎と栄次もまた同じで。けれど弥彦と栄次は、少しだけ違った。
 二人は、信じるものが違ったから――


「今日から龍槌閃の修業に入る」
 いつもの倉で、開始の挨拶をするなり剣心――師匠にそう言われ、弥彦は驚く。飛天御剣流の修業を始めてから数週間、今までずっと抜刀ばかりだったのに、突然剣心十八番の龍槌閃をと言われたのだから当然だ。けれど、次の瞬間にはもう、弥彦の胸は高鳴っていた。憧れの龍槌閃。しかもそれは剣心の十八番。
 剣心は身長と跳躍力の足りない弥彦のために、自分の腰よりさらに低い位置に剣を構える。もう少し高くても平気だ―― 一瞬弥彦はそう思ったが、その思いをすぐに心で打ち消す。うぬぼれるな。自分はまだまだ未熟なんだ、と。
「やってみろ」
 弥彦はうなずき、この数週間で身につけた見事な抜刀とともに剣心に突っ込んでいく。床をダアンと強く蹴り、飛び上がる。大丈夫。今まで何度も見てきた。京都で飛翔の蝙也と戦ったときも、見様見真似とは言えやってのけたのだ。
 せいいっぱい飛び上がり、けれどまだまだ低い跳躍で、弥彦は一気に剣を振り下ろす。ガキィィン――と激しい金属音が響き渡り、弥彦は腕に衝撃を覚えながらもしっかりと着地する。剣を落とすこともなかった。
 すぐに振り向き、剣を構える。残心を忘れないようにと。そしていつものように、怒鳴られるのを待つ――だが……。
「……初めてではないな」
 低く、つぶやく剣心。弥彦は、えっ? と剣心を見上げる。
「まだ教えていない技を使うことは禁じたはずだが……」
 それもまた、師匠と弟子の約束の一つだ。
「京都へ行ったときのことだよ。まだ飛天御剣流を教わる前の話だ」
 剣心と違い師匠には、いつものように怒鳴ったりはしない。けれど、真実はきちんと告げる。
「そうだったな……。だが、あの頃は、飛天御剣流を使うことさえ禁じていたはずだ」
「……」
「十本刀を倒した決め手は、それか……」
「……ああ」
「……」
 無言で背を向け、所定の位置に戻る剣心。その背中を見つめながら、弥彦は揺れる心のタガを外さないようにするのにせいいっぱいだった。あの時のこと、蝙也を倒した時のこと、言葉はもらえなくても認めてもらえていると思っていた。ふとしたときに、褒めてもらえるとさえ思っていた。よくやった、と。無我夢中で撃った龍槌閃だけれど、成長したなと喜んでくれると思っていたのに――。
「何をしている! さっさと次を撃ちにこい!」
 ビクッと、弥彦は我に返り、再び修業に戻った。
 二回目からは、重心がずれているだの踏み込みの力加減が十分に跳躍に生かし切れていないだのと、さんざん怒声を浴びた。


 同じ頃、斉藤家では――
 狭い庭ながらも時尾が端正こめて手入れした見事な草木や盆栽に囲まれ、栄次は真剣を持ち構えた。突きの姿勢を取る。
 牙突――斉藤が庭で日々修業している。目に見えぬほど速く鋭い、強烈な突き。それが養父の唯一にして絶対の技で、どんなにすごい剣かは弥彦に聞かされ知っていた。
 倉の隅にあった剣は、残暑の光に照らされぎらぎらと光る。栄次は、剣先を思い切り前に突きだしてみる。けれど、不服そうな顔で手を下ろし、ハァとため息をつく。
「……アイツは、教えてくれないだろうなぁ……」
「当たり前だ」
 栄次のつぶやきを、いつの間にそこにいたのか、斉藤が受けとめる。どうやら今日は遅番だったようである。
「勝手に真剣に触れるな。怪我でもされたら面倒なんだよ」
「ちょっとぐらい教えてくれたっていーだろ?」
「お前には、揺るぎない正義があるのか?」
 斉藤は栄次を一睨みすると、やぶからぼうに剣を奪い取る。
「アレはちょっとやそっとの心構えで出来るものではないんだよ」
 そう言い残し、斉藤は去っていく。
「……ちっ。なんだよ。えらそうに……」
 栄次は、近くの石を小さく蹴った。



☆あとがき☆
 今回のシリーズは少し長いです。敵対する剣心と斉藤。剣心を慕う弥彦と、斉藤の息子である栄次。この関係を中心に、いろんなものを織り交ぜて書きました。


第二十四幕「それぞれの正義」

「なんか、今日は二人とも、浮かない顔だな……」
 午後の河原。両隣にそれぞれ寝転がる弥彦と栄次をそれぞれ眺め、由太郎は腰を下ろしたままため息をつく。
「そんなことねぇよ」
「俺だって別に……」
 弥彦と栄次は、それぞれ面白くなさそうに答える。由太郎は、再びため息をつく。
「弥彦。お前は剣心さんと何かあったろ。そして栄次。お前は斉藤サンとだ」
「なんで分かんだよっ」
 二人は同時に答え、ガバッと体を起こす。
「あ、やっぱそーなんだ」
 由太郎の言葉に、謀られた二人はカアァと頬を赤く染める。
「アイツ、牙突を教えてくれねーんだ」
 栄次はそっぽを向いたまま、ボソリとつぶやく。弥彦は驚いて栄次の前に体を乗り出す。
「バカかお前、何であんなヤツに剣を習おうとするんだよ! 道場なら街にいくらでも――」
「悪ぃかよ!」
 カッとなって怒鳴り返した栄次だが、ハッとする。いつの間にか、養父の剣を会得したいと思っていた自分。確かに、街にはいくらでも道場があるし、それを許してくれないような家ではないはずだ。それでも――あんなヤツ、と言われて腹が立った。自分はそんなに、養父のことが好きなのだろうか。まだ、死んだ両親の顔だってはっきりと思い出せるというのに……。
 栄次の横で、ひそひそ話が聞こえる。――弥彦、あやまれよ。あんな不良警官でも栄次にとっては家族だろ? 
「やだね。俺は斉藤が大嫌いだ」
 由太郎のひそひそ声に、弥彦はむしろ大声で答えた。由太郎はあわてて弥彦の口をふさぐが、弥彦はその手を剥がし取る。
「いいか? 斉藤は、左之助に重傷を負わせて、剣心を殺そうとしたヤツなんだぜ。そして今でも、ヤツはきっと剣心との決着をあきらめちゃいねぇ。俺は剣心の味方だ。だからアイツは嫌いだ」
 そこまで言われて、さすがに由太郎は返す言葉もなく、手を下ろした。
「それって……アイツが悪いのかよ……」
 栄次が、静かにたずねる。
「あー? 悪いに決まってんだろ? いきなりやってきて不意打ちで左之助怪我させてそんで――」
「そーじゃなくって」
 栄次は弥彦の言葉をさえぎる。
「そーじゃなくって……。幕末の頃に緋村とアイツが敵になったとき。どっちが悪かったのかって聞いてるんだ」
「……そーいうのは」
 弥彦もまた、一度間をおいて、答える。
「それぞれの正義があったんだって、剣心が言ってた。けど――」
 弥彦は、栄次を強く見つめる。
「アイツは剣心の敵で、剣心を殺そうとしていて、そして俺は剣心の味方だ。だから俺は斉藤が嫌いだ。そのことに変わりはねぇ」
「ふぅん……」
 栄次は、ふっと空を見上げる。
「じゃあお前は、俺が父さんの味方をしたら、俺のことが大嫌いになるんだな」
 淡々と言葉を紡ぐ栄次に、弥彦は驚いた。栄次が斉藤の味方をしたらどうするか……そんなこと、考えたこともなかった。
「そっ、そういえば、弥彦が落ち込んでる原因は何なんだよ」
 由太郎はあわてて話題を変える。
「俺は……別にたいしたことねぇ。もう平気だ」
 自分が剣心に憧れと尊敬の念を抱いているように、栄次もまた、もしかしたらそうなのだろうと思う。だとしたら、栄次に比べて自分ははるかに恵まれている。剣心の剣をちゃんと教えてもらっている。京都での剣を褒めてもらえなかった、それだけで落ち込むなんて、まだまだ子供だったのだ。あの頃は飛天御剣流を禁じられていた。だから、ひどく怒られても当然だったはずなのに……。
 その時栄次は、父さん、と小さく声を上げた。栄次の視線の先には、土手の上に立つ斉藤。草むらが斜めに広がる、その中ほどに座るまだ小さな弥彦たちにとって、斉藤はあまりにも大きく見えた。栄次は立ち上がり、斉藤の方へ駆けていく。
「どーしたんだよ。仕事は?」
「明後日の早朝からしばらく大阪へ出張に行く」
「それをわざわざ今俺に?」
 栄次は首を傾げる。
「その前に抜刀斎と決着をつける」
 栄次はドキリとする。血が凍り付くような感覚を覚える。
「……緋村を……殺すの……?」
 かすかに震える声で、たずねる。斉藤から、ただならぬ殺気が漂ってきたからだ。
「悪・即・斬。これが新撰組の、唯一にして絶対の正義だ」
 栄次はツバをごくりと呑む。
「緋村は、悪なの?」
「新撰組にとって、抜刀斎は悪だ。――して、お前はどうする」
「えっ?」
 栄次は斉藤を見上げる。
「もしもお前が俺の味方に付けば、お前は神谷のガキを敵に回すことになるかもしれんな」
「……」
 栄次は、突然の養父の言葉に困惑する。
「だが、俺には関係のないことだ。それだけ覚えておけ」
 斉藤はくるりと背を向け、去っていく。
「なんだよ……それ……」
 栄次は、斉藤の背中を見つめる。
「なんだよ……」
 もう一度、繰り返す。自分が、泣きそうな表情をしていたことにも気付かずに……。



☆あとがき☆
 剣心対斉藤…ということになりました。弥彦って、剣心のこと、これでもかってほど信じているんですよね。それに対して、栄次はまだ養父である斉藤に、様々な思いをかかえているようです。


第二十五幕「夕暮れの帰り道」

「斉藤サン、なんだったの?」
 戻ってきた栄次に、由太郎はたずねる。
「別に。通りかかっただけ。それより遊ぼーぜ。弥彦も。何して遊ぶ?」
 栄次は、何事もなかったように振る舞う。その明るさがなんだか不自然だと二人は感じたが、遊んでいるうちに忘れてしまっていた。
 やがて夕方になり、やわらかい気配にふと気付いた弥彦が土手を見上げると、剣心が優しく微笑んでいた。豆腐の桶を持っている。どうやら買い物帰りのようだ。
「剣心! いつからいたんだよ」
「ついさっきでござるよ」
「そっか」
 弥彦の横顔をそっと見て、うれしそうだなと、由太郎は思う。別に笑っていた訳ではない。頬が赤いのも多分夕日のせいだろう。それでもうれしそうだと、由太郎は感じる。そして、そのことがうれしくなる。
「じゃあまた明日な」
 弥彦は、由太郎と栄次に声をかけ、剣心のもとへ駆けていく。当然のように。弥彦だけではない。栄次だって斉藤が仕事帰りに通りかかれば共に帰るし、由太郎だって父や爺やが通れば一緒に帰る(由太郎は、馬車で帰ることもあるお坊ちゃまだ) だから弥彦は、同じ家に住む剣心が通りかかれば一緒に帰るという世間の常識に、改めて気付いたのだが――初めて一緒に帰るとき、それはもう照れてしまって仕方がなかったのだ。遊んでいて、迎えに来てくれる人がいるなんて、今までの弥彦からしてみれば信じられないほどの幸せだった。そんな、自分とは一生縁のないと思っていたことが、今は当然のように与えられる。その世界の、一人の主人公なのだ。そして今も、こうして買い物帰りの剣心が河原で足を止めて待っていてくれたなら、それだけで胸がいっぱいになる。
 夕焼けにとけこみそうな、剣心のもとへ駆けていく。ハァハァと息を切らせながら。
「そんなに急がなくても、拙者はちゃんと待っているでござるよ」
 優しく微笑み、さっ帰ろう、と、剣心は歩き出す。失いたくない。ふいに浮かんだ思いを胸に、弥彦は剣心の背中を追いかけ、横に並ぶ。
「今日は何して遊んだでござるか?」
「今日は……」
 初めから話そうとして、思い出す。京都での戦いを認められなくて、落ち込んでいた自分に。何故だろう。毎日修業をして強くなっているはずなのに、なんだか心はどんどん子供になっていくような気がしてならない。いや、そもそも剣の腕も上がっているのだろうか。そんな不安を抱えながら、弥彦は静かに目を伏せる。
「今日は……ごめん。京都で、飛天御剣流を使った俺が悪いのに……」
「そのことでござるが、弥彦……」
 剣心は、弥彦に視線を落とす。
「その時、夢中だったのでござるか?」
「……」
 弥彦もまた、剣心を見上げる。
「ああ。だって約束しただろ? 守りの要として葵屋に残るって」
 本当は、今の弥彦には分かっていた。自分が、連れて行ってもらうにはあまりにも未熟すぎたこと。そしてそれは、今もまだ同じであること。けれど、あの時は純粋に剣心の言葉を信じて、夢中で葵屋の皆を守るため戦った。剣心との約束を果たそうと、必死で戦った。
「弥彦」
 剣心は、静かに名を呼ぶ。
「確かに、あの時まだ禁じていた飛天御剣流を使ったことは、お主が悪いでござる。けれど……」
 剣心は立ち止まり、弥彦の方を向く。弥彦もつられて振り向き、剣心と向き合う。こんな風にお互い正面から向き合うと、京都での夜を弥彦は思い出す。志々雄との最終戦前日、屋根の上で、剣心と約束をした。
「拙者、正直に言うと、本当はうれしかったでござるよ」
 弥彦は、驚いて目をいっぱいに見開く。
「それは、やっぱり、弥彦がとっさに龍槌閃を撃つことが出来たのは、拙者の剣をよく見ていてくれていたということでござるから……」
 弥彦は、顔を火照らせる。
「ただ、カッコよかったからとか、そんな簡単な理由じゃないからな……」
 弥彦は目をそらし、ボソリとつぶやく。
「分かっているでござるよ弥彦。だからうれしいのでござる」
「……分かってるなら、いーよ」
 弥彦は、怒ったようにうなずく。剣心は、そっと弥彦の両肩に手を置く。
「よく頑張ったでござるな。ありがとうでござるよ。弥彦」
 その言葉に、弥彦はとたんに京都での一件を生々しく思い出す。褒められて、胸がいっぱいになりどうしようもなくなって立ちつくす弥彦に、剣心は優しく笑う。
「京都の一件は、済まなかったでござる。長旅、大変だったでござろう? 十本刀との戦いでは、まだ十のお主を実戦に巻き込み、辛い目に合わせてしまったでござるな……」
「そんなこと……全然辛くねぇよ……」
 言いながら、熱い涙が浮かぶ。弥彦はあわてて、顔をそむける。
「全然……辛くねぇよ……。そんなこと……」
 涙を、押し殺して。必死で耐える。泣くな。泣くな。泣くな――
「俺が……辛かったのは……」
 弥彦はそこで、無理矢理言葉を呑み込む。
「弥彦……?」
「……なんでもねぇ」
 押し殺した声で告げて。
「なんでもねぇんだ」
 もう一度つぶやき。そして弥彦は駆け出し、バッと振り向く。いつもの、少し怒ったような表情に戻っていた。
「早く帰ろうぜ剣心。日が暮れちまう」
「……そうでござるな」
 剣心は、少しの間何か考えていたが、やがて弥彦の後を追い歩き始めた。



 剣心――

『俺が……辛かったのは……、たった一つだけ……』

―― 剣心に……置いていかれた……ことだけが…… ――

 心の声は、届かぬまま――行き場をなくした心の傷は、小さな体には重すぎて。それでも弥彦は、たった独りでそれを抱え込む。



☆あとがき☆
 買い物帰りの剣心と一緒に帰る弥彦。書きたかったシチュエーションの一つです。そして、京都編で剣心に置いていかれた弥彦、立派に振る舞っていましたが、本当はさみしかったのでは……と思います。


第二十六幕「人斬り抜刀斎」

 次の日の朝、栄次は昨日と同じように、庭で牙突の練習をしていた。ただし、真剣ではなく、落ちていた棒きれで。
 ふと、向かいに弥彦が構えている気がする。逆刃刀を抜き、飛天御剣流の剣を撃ってくる―― 一瞬そんな錯覚を覚えた。
 今夜、養父と剣心が対決する。どちらが勝つのだろう。弥彦は剣心のほうが強いと言いきっているが、本当は決着がついたことはないらしい。
 今日の対決の事を知ったら、由太郎はどう思うだろうか。そして弥彦はどうするのだろうか。そのことを考えるのが怖くて、昨日は何も知らないふりをして、いつも通りに遊んだ。
 弥彦が剣心を慕っているのは良く知っている。もしも養父が剣心を殺したならば――弥彦は養父に剣を向けるだろう。そして、その時自分はどうするのだろう。どちらの味方につくのだろう。養父は多分、子供の弥彦など相手にもしないだろう。それでも――自分が養父の味方についたら、弥彦はきっと――
 そこまで考えて、ハッと強く息を吸う。呼吸をするのも忘れるくらい、思い詰めていたのだろうか。ハァハァと荒く息をする。
 養父が戦いを思いとどまることは、まずないだろう。自分が止めることも、恐らく不可能だろう。せめて、弥彦と由太郎には、話さなければならない。たとえ、どういう結果になったとしても――

 剣心に、言いかけてしまった――そのことが今なお恥ずかしくて、頬を赤らめながら午後の河原を歩く弥彦。自分はなんて子供なのだろうと、ため息を一つつく。確かに剣心に置いていかれたとき、ひどく悲しかった。けれど、薫はもっと悲しかったに違いなく――その薫ががんばっているのだから、男の自分が泣くわけにはいかない。そう思い、ずっと誰にも涙を見せないよう、我慢してきた。
 けれど、昨日のように心が揺らぐようではまだまだ未熟だ。もっともっと、強くならないと。
 弥彦はやっと顔をあげる。いつも通り、今日も由太郎と栄次と遊んで、明日からさらに頑張って修業しよう。きっと今の頑張りじゃ足りないんだ。
 これ以上ないというくらい頑張っている弥彦は、それでもそう思い、キッっと前を向き決意する。そして、いつもの場所へ駆けていく。由太郎と栄次とすごす河原の土手へ。

「何、それ……」
 栄次の話を聞いた由太郎は、開口一番、呆然とつぶやく。
「だから、今夜斉藤と剣心が決闘するんだろ?」
 弥彦は平然と答える。
「弥彦……お前、驚かないのか?」
「別に。いつか決着をつけるって知ってたし」
「平気なのかっ!?」
 栄次の問いの意味が、弥彦には初め分からなかった。少し考え、あぁと思う。
「剣心は絶対に負けねぇからな。それに、剣心は不殺の信念を持っているから、斉藤は大丈夫……」
 そこで弥彦は口をつぐむ。引っかかるものがあったのだ。以前神谷道場で剣心と斉藤が戦ったとき、薫は妙なことを言った。

『あれは剣心じゃない。人斬り抜刀斎なのよ』
『止めて! 誰かあの二人を止めて!!』

 目に涙をいっぱいにためて、叫んだ薫。そうしたら左之助がこう言った。俺たちの声は、もう剣心には届かないと。そう言えば、あの時、剣心が斉藤の剣を折ったとき、それは自分めがけて飛んできた。とっさに避けなければ、確実に刺さっていた。けれど、剣心がそれに反応することは、みじんもなかった。
 弥彦は、初めてぞくりとする。そうだ。確かにあれは、剣心じゃない。人斬り……抜刀斎――
「弥彦……」
 ポンと由太郎に肩を叩かれ、弥彦はビクッとする。
「汗、すごいぞ?」
 そう言われて、額をぬぐえば、確かに手の甲に汗はびっしょりとついた。
 もしも、もしも――もしも剣心が、斉藤を殺してしまったら――
 どうなるのだろう。剣心は? 栄次は?
 混乱の中で、栄次を見る。栄次は、押し黙ったままうつむいている。
 子供で、無力な自分たちは、どうすることも出来ない。けれどせめて――

「俺も行く」
 夕飯の支度をする剣心に、低く告げる弥彦。
「薫殿には内緒でござるよ」

「俺も行くからな」
 家の門へ入ろうとする斉藤に、ぶっきらぼうに告げる栄次。
「時尾には内緒にしておけ」

 せめて、戦いの行く末を見守ろう。



☆あとがき☆
弥彦、由太郎、栄次が仲良く河原に集っているのが好きです。物語は剣心vs斉藤戦に入っていきます。剣心は再び抜刀斎へ引き戻されてしまうのか……。それが、話の鍵となっていきます。


第二十七幕「悪即斬」

 皆が眠りについた静かな街を、剣心と弥彦は歩く。
「由太郎や、それから、栄次とはさ……毎日のように河原で遊んでるんだ。たくさん……話もするし……」
 言葉を選ぶように、弥彦は、ぽつりぽつりと話す。こんな話し方をするのは、弥彦にしてはめずらしいことだ。そんな弥彦を、剣心は黙って見守りながら耳を傾ける。
「栄次はさ……、斉藤のこと、好きなんだと……思うんだ。多分……。斉藤は、やなヤツだけど……なんていうか、ちゃんと、信念とか持ってるし。栄次にとっては、あんなヤツでも、父さん、だろ?」
「拙者の中に棲む人切り抜刀斎――」
 唐突に言われ、弥彦はビクッとする。
「弥彦も、気付いていたのでござるな……」
「……」
 なんと言い返せばいいのか、分からなかった。
「今日は、弥彦にこの戦いを見せておきたかったから、連れてきたでござる」
「……」
「拙者は京都で、自分の中の人斬りを抑えるすべを学んだ……」
 最終戦前夜の、屋根の上でのことを思い出す。剣心と薫。二人が話していたのを聞いていたとき、そのようなことを言っていた。あのときは、まだ意味がよく分からなかったけれど。
「だが、今回ばかりは……。絶対に抑えられるかと聞かれれば、正直絶対とは言い切れぬ……」
 剣心の表情が、少し苦しそうなのに、弥彦は気付く。
「その時は、栄次を連れて、その場を去ってほしいでござる……」
 そして剣心はそのままどこかへ行ってしまう。斉藤もいなくなる。二人ともいなくなる。そのことを、弥彦は瞬時に理解する。

――俺たちは、大切な人を失ってしまうんだ―― 


 栄次……、と。聞き取れないくらい小さな声を、弥彦はもらす。


「緋村を殺すな」
 静かな月明かりの下、栄次の声は斉藤に向けられる。怒るでもなく、頼むでもなく、ただただ自分の願いを吐露する。横を歩く斉藤は、ふぅとため息をつく。
「緋村はいいヤツだ。俺に、立派な大人になれって言ってくれた」
「俺が言う悪即斬は、そんな単純な事じゃないんだよ」
 斉藤はまた一つ息を吐く。栄次は黙り込む。本当はそんなこと、分かっていたのだ。
 しばらくして、栄次はまた重い口を開く。
「緋村がいなくなったら……弥彦はどうなるんだよ……」
「それはお前と神谷のガキがどうなるかということも含まれているのか?」
 栄次はハッとする。
「言ったはずだ。俺には関係ないとな」
「……」
 栄次は再び黙り込む。養父の、言葉の意味は冷たいはずなのに、何故かそのように伝わってこなかったからだ。ふと、思い出す。かつて養父は、復讐鬼になりかけた自分を救ってくれた。その時感じた、確かな正義と信念。今も強烈なまま、胸に残っている。



☆あとがき☆
弥彦は剣心を、栄次は斉藤をそれぞれ慕っていて。けれど栄次は斉藤を父のように思うのに対して、弥彦は剣心を父とは思っていなくて。それでも家族として剣心が大切な弥彦。どっちの関係も書いていてたまらないものがあります。


第二十八幕「剣心対斉藤」

 真夜中の零時過ぎ。どこまでも広い、殺伐とした原っぱ。約束の場所に、剣心と斉藤は向き合う。栄次は斉藤の後方に立ったが、弥彦が当たり前のように横に並んだので、驚く。
「お前緋村の味方なんだろ? あっち側に立ってなくていいのか?」
「別にどこに立っていたって同じだろ?」
 弥彦のそれは、剣心の、いざというときは栄次を連れて……と言う言葉が胸にあったからなのだが、そうでなくても栄次の隣りに立っただろう。何の疑問もなく。ただ、友達だから。
「今夜こそは、誰にも邪魔されずにすみそうだな」
「ああ」
 ニヤリと笑う斉藤に、剣心は低く答える。その目はするどく、月の光が冷たく反射する。同様に、斉藤の氷のような瞳にも、月はきらめく。弥彦はぞくりとした。まだ戦いが始まったわけでもないのに、目の前の二人は既に遠いところにいる。それはきっと、幕末だ。剣心、と声をかけようとしたが、思いとどまる。もう、届かない気がした。
「行くぞ」
「望むところだ」
 牙突の構えを取る斉藤に応じ、剣心もまた抜刀の構えを取る。栄次は唾を呑む。
 一瞬ののち、二人は剣をぶつけ合った。キインと金属音が鳴り響く。そのまま激しい攻防を繰り広げる二人。弥彦は一瞬たりとも見逃すまいと、真剣に戦いを見ている。栄次は弥彦をちらりと見て驚く。弥彦には、二人の戦いが見えている。栄次には、高速すぎてほとんど見えなかったのだ。けれど栄次は、それを悔しいと思う前に、戦いの行方が心配だった。
「おい、どーなってる?」
「両者一歩も譲らねぇ。今んとこ、全くの互角だ」
「そっか」
 栄次は、弥彦の表情を少しの間見つめる。
「それなら、なんでそんな心配そーな顔してんだよ」
 弥彦は目を見開く。言われて初めて、自分の気持ちに弥彦は気付く。確かに、胸が不安でいっぱいだ。けれどそれは、剣心が負けると思うからではない。剣心の勝利は、絶対的に信じている。だったら、何故?
 弥彦は剣心を見つめる。鋭い目はしていても、逆刃をかえしてはいない。大丈夫。きっと大丈夫だ。そう、心に言い聞かせる。何度も言い聞かせて……けれど不安は、消えてはくれない。
 その時、皮膚を裂く音がする。続いて血しぶきが飛ぶ。斉藤の牙突が、剣心の脇腹を突いたのだ。
「剣心!」
「父さん!」
 弥彦と栄次は同時に叫ぶ。剣心は後方に倒れ脇腹を押さえる。斉藤は、この機を逃さない。とどめとばかりに、剣心の胸をめがけ牙突を繰り出そうとする。
「父さ……、やめ……」
 栄次のかすれ声は、斉藤には届かない。
「弥彦……!」
「だいじょうぶだ栄次。剣心はそう簡単にはやられねぇ」
 そう言いながら、弥彦の顔は青ざめている。剣心の様子が、いつもと違う。それを感じ取ったからだ。
 斉藤の牙突と剣心の龍巻閃は同時に発生した。だが、剣心の方が一瞬早く決めた。斉藤はガハッと血を吐く。その、あまりに容赦ない一撃は、明らかに普段の剣心とは違う。確かに、斉藤は全力を出して尚、簡単に勝てる相手ではない。それにしても、と弥彦は思う。剣心は、いつも誰かを守るために戦っている。けれど、今は違う。剣心は今、幕末時代に持ち続けた正義を持って、斉藤と戦っているのだ。そして、きっとそれは、斉藤の「終わらない戦い」に決着をつけるために。けれど、それだけではない。いや、本当はそれだけだったはずなのだ。それなのに、今の剣心は、まるで斉藤を殺そうと――
 剣心―― 息ばかり漏れて、声にならない。
 目の前では、激しい競り合いが続いている。剣心が土龍閃を繰り出す。数個の小石がものすごい勢いで弥彦たちの方へ飛んでくる。弥彦は夢中で栄次を突き飛ばして自分も伏せる。間一髪だった。土龍閃を直接向けられた訳ではない。小さな石が当たったとしても、軽い怪我を負うくらいだろう。だが、剣心は見向きもしない。
 あの時と同じだ。剣心は、抜刀斎に戻っていく。どうして? なんで? 自分の中の人斬りを抑えるって言ったじゃないか―― 弥彦は心で、必死に叫ぶ。この空間が明治でなく、幕末だから? 相手が志々雄ではなく、斉藤だから? どちらもそうなのだろうと、弥彦は悟る。剣心は言った。絶対に抑えられる自信はないと……。
 斉藤の猛襲。けれどそれ以上に剣心の剣は残虐で。狂気は月の光を冷やし、漂う。それは氷の刃となり、弥彦につきささる。全身が痛い。肌で感じる。ここから去らなくてはならない。栄次を一刻も早くこの場から離さないと―― 弥彦は栄次の袖をぐいとつかみ戦いから背を向け走り出す。
「弥彦っ!」
「……」
 栄次になにか返そうと――けれど声が出ない。だって、何より栄次に見せたくないんだ。剣心が斉藤を殺――

 どくん、と、心臓の音が大きく聞こえた。


―― 夕焼けにとけこみそうな、剣心のもとへ駆けていく。
    ハァハァと息を切らせながら。
    「そんなに急がなくても、拙者はちゃんと待っているでござるよ」 ――

 なのに剣心の背中は遠い。
 剣心、行くな。頼むから――

 失いたくない。
 あの朝はとても静かだった。剣心に置いていかれた日。
 あの人は京都へ行ったのだと、薫が顔をおおって泣いたあの時。
 薫のために、我慢した涙。

 長旅は、船酔いしたけど我慢できた。
 死闘は、負傷したけど耐えられた。
 辛かったのは、たった一つだけ。

――「今日は何して遊んだでござるか?」――
 神谷道場に……家に、帰る。一緒に、帰る。同じ場所へ、帰る。
 それがどんなに幸せで、幸せで、幸せで――

 辛かったのは、たった一つだけ。
 剣心に、置いていかれたことだけだった。


 失いたくない。
 失いたくない。
 失いたくないんだ……!

 

「……栄次」
 いつの間にか足を止めていた弥彦は、栄次を自分の方に向けさせぐいと両肩をつかむ。
「お前は……お前は斉藤から”受け継ぐもの”を持ってるか?」
「え……?」
「よく聞け栄次! 俺が頼んでも、剣心は止められねぇ。薫が無理だったのに、俺が止められるワケがねぇ。こないだみたいに幕末の同志が来るハズもねぇし……」
 弥彦は、栄次を強く見つめる。
「俺は、人を守るために剣をふるう。だって俺が薫に教わったのは活人剣だし、それに剣心の跡を継ぐって決めているから―― 栄次、お前は!?」
「……俺は」
 栄次は、うつむく。心は過去をさかのぼり、新月村での記憶がよぎる。
「俺は……よく分かんねぇ……けど――!」
 考えていた栄次は顔をあげ、強く弥彦を見つめ返す。
「父さんが、俺が復讐するのを止めてくれてホントはうれしかった……!」
 弥彦の眼差しはさらに強くなる。
「斉藤のこと……失いたくないか?」
「……っ」
 栄次はうなずき――ぎゅっとつむった目から涙をこぼした。


『今日は何して遊んだでござるか?』
 

「俺も……」
 弥彦は、静かに笑った。


 失いたく、なかった。



☆あとがき☆
弥彦は剣に対して確固たる信念を持っているのだけれど、まだまだ家族に甘えたい小さな年頃であるのも事実なんですよね。弥彦は前者を優先しすぎるので、後者をいつも押し殺しているように思います。


第二十九幕「人を守る剣の道」

 弥彦は、布袋から弥月刀を取り出す。
「弥彦っ――!」
「二人の戦いを止める」
「なっ!?」
 弥彦は笑う。
「それでお前が、泣かなくてすむんだったら」
 迷いなく言い切る弥彦。その腕を栄次はあわててつかむ。
「そんなの……あの二人に勝つことなんか、無理に決まってんだろっ……?」
「……そーだな。絶対無理だろーな。けど、無理って分かってても、やらないワケにはいかねーんだ」
 弥彦は、剣心たちの方へ体を向ける。
「おい弥――」
「大嫌いな斉藤に斬られるのと、大好きな剣心に斬られるのと、どっちがマシかなぁ」
 栄次からは、弥彦の表情を伺うことは出来ない。平然と、そんなことを言う。どんな顔で、それを言っているのだろう。
「バカッ! お前が無駄死にしたって仕方ねぇだろ!?」
 栄次は弥彦の腕をつかむ手に力を込める。
「俺が斬られりゃあ、剣心は正気に戻ってくれるかもしんねぇ。元に戻ってくれるかもしんねぇ。甘いかな……。けど、どうしても他に方法が思いつかねぇんだ」
 驚いて栄次が手をゆるめた一瞬の隙をついて、弥彦は栄次の手からすっと腕を外す。
「栄次、俺、斉藤は大嫌いだし、悪即斬も納得いかねーけど……アイツが正義のためにと振るう揺るぎない剣はすごいと思ってる」
 栄次の胸がドクンと高鳴る。
「だからもう、お前が斉藤を好きでも怒んねぇよ。その代わり、憧れた男の背中はずっと追いかけていけよ」
「弥彦……」
「そーすりゃあお前は、幸せになれる」
 そうして、弥彦は剣心たちの方へと歩いていく。
 ドクンと、栄次の胸は再び鳴る。どんどん遠くなる、弥彦……。
「……っざけんなぁ!!!」
 栄次は落ちていた棒きれを拾い、ものすごい勢いで斉藤たちに突っ込み、その途中弥彦を突き飛ばした。
「なっ……!」
 弥彦が尻餅をついて驚いている間に、栄次は斉藤に棒きれを突きつける。
「邪魔だ!」
 栄次は斉藤に激しく振り払われ、弥彦の隣りに飛ばされる。
「栄次!!」
 栄次は歯を食いしばり、よろよろと立ち上がる。
「バカやろぉ! 死んで、どこが幸せになれんだよ!!」
 弥彦に言い捨て、栄次は再び斉藤に突進する。そうしてまた、棒きれを突きつける。今度は、牙突の構えで――
「邪魔だと言っている!!」
「俺の正義は――!」
 斉藤は、ぴくんと手を止める。

『お前には、揺るぎない正義があるのか?』

 栄次は腹の底から怒鳴る。
「俺の正義は、今は弥彦を死なせないこと!!」
「……」
「俺の正義を邪魔するヤツは、たとえ誰であっても立ち向かう! それが俺の、揺るぎない正義だ!!!」
 しかしその時、栄次の背後から冷たい声が響いた。
「いつまで待たせる気だ……」
 剣心は、斉藤たちの方へゆっくり歩む。
「そろそろ殺してやる……」
 弥彦の息が詰まる。剣心は、もはや斉藤以外誰も見えていない。剣心が逆刃を返す。弥彦は反射的に戦場へ突っ込んでいく。剣心が剣を振り上げる。斉藤は栄次を振り払う。栄次は必死でその腕にしがみつく。斉藤に……いや、剣心が見えていない栄次に向けられた剣は、飛び込んできた弥彦の肩に振り下ろされ――
 一瞬、しんとする。覚悟を決めて固く目を閉じていた弥彦がそっと目を開けると、剣心はすんでのところで剣を止めていた。だが、瞳の輝きは相変わらず冷たいまま――
「……戦いを邪魔立てするのなら、斬り捨てるまで」
 目の前にいるのが弥彦だと、分からない様子の剣心は。弥彦の剣気に呼応するように弥彦をにらみ据える。全身が凍り付く。弥月刀を剣心に向けたまま――けれど金縛りにあったように、弥彦は動けない。
 すべての時が止まった感覚。だが、その間剣心が見つめていたものがあった。
「その剣は……サカバトウ?」
 剣心が弥月刀に目をやった。弥彦の胸が震える。動けないまま――けれど……
「……そうだよ。剣心」
 笑って、静かに答える。剣心に届かないと、知ってはいても――
「剣心が俺に、買ってくれた。まだ小さな弟子に、刀を用意してやらない師匠なんかどこにいるんだって、そう言って……」
 弥彦は、月の光に輝く弥月刀を、愛おしく見つめる。きれいだと思った。そうしてまた、弥彦は剣心を見つめる。冷たい目を、けれどその奥にきっとある温かい目を探して、見つめる。
「だけど剣心。弟子なら、また新しく探せばいい」
 笑って。
「家族なら、薫と結婚すればいい。子供もつくってさ」
 笑って。
「だから、俺が斉藤の代わりに死ぬよ。だって栄次には、斉藤が必要だから。斉藤は、栄次の父さんだから。子供の親を斬るなんて、もう御免だろ? 俺は…俺はさ、いいんだ。父上も母上も、いないから……」
 笑ったまま、怖いくらい真っ直ぐな目で。
「剣心、俺は、明日が来なくてもいい。この剣で、人を守って死んでいけるなら。剣の道に生きるって決めたときから、覚悟は出来ているんだ。誰かを守るためなら、例え死んでも、剣を振るうって」
 剣心は、ザッと一歩前に踏み出す。凍った瞳のままで。
「不殺の誓い、破らせちまうな……。半分は、俺のせいだ……。俺が、弱いせいだ……。剣心、ごめん。俺、強くなれなくて……」
 そうして弥彦は、スッと目を閉じた。動かない体のまま、今度こそ覚悟を決める。
 剣心は再び剣を振り上げ、弥彦の肩めがけ剣をおろす――

「――!?」



☆あとがき☆
弥彦は剣の道に真っ直ぐに生きていて、本当に強い子で、立派だと思います。けれども、十歳の小さな体に抱え込んだものはとても重く、辛いんだろうなと、思います。








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